電子書籍の外側

電子書籍以外の事をつぶやきます。所属組織の見解ではないことはお約束です

電子化されることで失われるもの

母子手帳の電子化が叫ばれているが

以前、All AboutのNewsdigでこういう記事を書きました。

父子手帳は母子手帳になれるか | All About News Dig(オールアバウト ニュースディグ)

そういえば子供が成長して結婚するときに母子手帳を渡すママもいるようですが、そこに父子手帳が加わると、これから生まれてくる子供へと繋がる大事な情報源になるだけではなく、より強い家族の絆を作ることができるかもしれませんね。 

 と締めくくりましたが、この部分についてはライフログとしての母子手帳は紙で残したほうが良いのではないか?という遠回しの提案です。

なぜ、ライフログとしての母子手帳は紙でないといけないか?というと、保存性と将来に渡る情報の取り出し性です。

個人的な事例ですが、すでに我が家のハンディカムであるMiniDVはテープ自体を探すのが辛くなってきています。うちの子供の映像はこの先10年後我が家のハンディカムが壊れても再生できる機材があるのか?という問題にぶつかってきています。

また、フィルムの写真はネガさえ残っていれば化学的に印画紙に焼付けできますが、デジカメで撮影し、メモリの記録されたデータは、将来そのフォーマットが廃れた時に再生するのが大変になります。

このように母子手帳の様に子供の出生からの記録とその記録を持って大人になってからの子供を産み育てる時に必要な情報を可読性というか情報の取り出し性をもっているかというのが重要になります。

確かに母子手帳がiPhoneアプリ化されると便利だと思いますが、果たして20年後アプリに、クラウドにデータは存在するのでしょうか?

どこか集中的に母子手帳のデータを管理するものが出来ない限りなかなか難しいことですが、ライフログを一元管理するということとの背中合わせなので、それはそれで怖い事ではないでしょうか?

そう考えると、母子手帳の機能を考えて電子化の必要性の有無を考えないといけないと思います。電子化されることで失われるものが有るということを念頭において、母子手帳だけではなく子供の成長についても考えないといけないんじゃないかなぁと思って一旦締めたいと思います。